小説を読んで落語を聞きたくなった

読書録

『しゃべれどもしゃべれども』はTOKIOの国分太一が主演で映画化もされた小説だ。著者は『一瞬の風になれ』でも有名な佐藤多佳子さん。僕はこの本を母親から進められて、読み始めた。

あらすじ

ネタバレの内容にざっくりと。

主人公は噺家の今昔亭三つ葉だ。噺家とは言っても、前座よりも少し上の二ツ目という立ち位置で、まだまだ修業の身だ。

ある日、自分の芸も一人前ではない状況の三つ葉に、落語を教わりたいという人間が現れる。それも一度に四人も。

それぞれがそれぞれに「話すこと」に悩みを抱えており、何とかその悩みを解決するために、効果があるのかもわからない落語を学んでいく。

そんななか、三つ葉も自分の芸に全く自信が持てない時期が訪れる。そして、三つ葉のもとに落語を習いに来ている三人もまた、それぞれの悩みに打ちのめされる。


個性的な登場人物たちの日常が描かれた、読み始めたらあっという間の小説だった。

主人公の恋愛も描かれており。そちらもまた落語以上に不器用で、読んでいても体の奥の方がかゆくなるようなもどかしさに襲われる。

最後には明るい雰囲気で物語は終わるが、なにか大きな結末が待っているわけでもなく、読み終わりが非常にすっきりとした物語だった。

先の見えない不安

あらすじにもざっくりと書いたが、主人公の三つ葉には物語の途中で不調が訪れる。『魔女の宅急便』のキキがある日突然、ほうきで空を飛べなくなってしまうように。

俺のように気が短いのは、先の見えない努力が苦手である。実際、何をしている時でもこんなことをやっていていいのかという疑いがジワジワわいて出るから、情けないったらありゃしない。
(中略)
めくらめっぽうという感じである。目隠しをされて、厚手の布の上から、手探りで何かを見つけようとしているみたいだ。その何かもはっきりとはわかっていない。わかっていないものを少しずつ少しずつ自分の内側に蓄積しようとしていて、どのくらい溜っただろうと知りたくても、古井戸の底をのぞくように、ただただ暗くどろんと深いのだった

『しゃべれどもしゃべれども』佐藤多佳子(新潮社、2001)187頁~

葛藤がとても美しい表現で書かれている。読んでいて思わずうっとりしてしまうような表現力だ。どんなことをしたらこんな文章力が付くのか、教えてもらいたい。

この部分から、主人公三つ葉の葛藤が手に取るように伝わってくる。

人はなぜ本を読むか?その答えは読む人の数だけあるだろう。僕は「自分が今まで表せなかった感情・ニュアンスを巧みに表している表現に出会って感動するため」というのが本を読む大事な目的の一つだと思っている。人は自分の語彙力では表せなかったものを表してくれる表現に出会うと感動する。

僕は雨あがりの、アスファルトや土が濡れ、風に乗って漂ってくる「雨の匂い」が好きだ。実はあの匂いには名前があるらしい。ペトリコールというそうだ。言葉はこのように、今までどう表現していいのかわからなかった匂いにも輪郭を与えてくれる。
※それでも「ペトリコール」というよりも「雨の匂い」といった方があの匂いが伝わる気がするのも、言葉の面白いところですね。


誰しも、「今やっていることが本当に正しい積み重ねなのかわからない」ということがあるだろう。そんな何とも言えない状態を、こんなに素晴らしい表現で表すことができるのだ。

同じ言葉でも、同じ話でも

物語の主人公三つ葉はとにかく古典落語の古めかしさにこだわる。師匠の味のある話し方、話す内容をそっくりそのままマネして、話すことに執着する。

だが、師匠からは噺の登場人物は自分でこしらえろと一喝される。そっくりそのままマネしてもお前の芸じゃないだろう、ということだ。



ここで僕の最近の話をしたい。僕は企業の研修でスピーチ研修という研修を受けている。どうやって相手の心を動かす話が出来るかという研修だ。

いくつか条件があって、名言などの引用して聞き手を引き付けること、自分の経験なども絡めることが求められる。

だが、僕はこのスピーチがどうも思うようにうまくいかない。なんどやっても「思いがこもっていない」「なぞっているだけ」と合格をもらえないのだ。一日に何度も何度もスピーチを繰り返す。

上司のマネをしても、やはり同じように不合格になる。

いくらいい言葉を使っても、それが心の底から出てくるものでないとだめなのだ。話す雰囲気、表情、それらを含めてよい話し手なのだ。

『しゃべれどもしゃべれども』を読みながら、そのことを思い出した。こうやって本を読んで、きれいな言葉とたくさん出会っても、自分という人間をそもそも磨かないといけないのだ。

普通って何だ?

物語には関西から東京に引っ越してきて、関西弁が原因で学校でいじめられているという少年のお母さんが出てくる。(実際のいじめの原因は本を読めばわかる)

そのお母さんは、しきりに「普通の子になってほしい」「普通の」「普通の」と言うのだ。普通とは何なのか?

そんなことを考えさせられる部分もあった。

落語を聞いてみたくなった

以前、林修が話術を学びたいなら落語を勉強しろと言っていたのを見たことがある。また、松本人志も、昔落語を聞いていたと言っていた。

単に落語に興味が出てきただけでなく、自分の話術のためにも落語を勉強してみたくなった。勉強と言ってもただ聞くだけだが、話のうまい人の話は聞いているだけでも勉強になる。

自分も、もっと人に何かを伝えるのが上手くなるために、話を勉強してみようと思う。三つ葉に教えを乞うた三人のように。

最後に

たまには小説を読むのもいい。これから、小説も少しずつ間に入れて読んでみようと思う。

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