教育実習で自分の甘さを知った

教育実習

6月の3週間、大学で学んだ教職課程の集大成として母校である桜美林中学校・高校へ教育実習に行った。実習期間中は忙しくてTwitterもまともに動かせていなかったが、やっと落ち着いたので、少しずつ日常に戻ろうと思う。

思わぬところで苦労した

教育実習で壁にぶち当たった。高校時代から、スポーツができて、そこそこ名のある大学に入り、コミュニケーションも苦手ではない。何処にでもいる人間だが、人から嫌われるようなことは少ないと自分を評価していた。

そんな自分がまさか生徒とのコミュニケーションで苦労するとは思わなかった。教育実習生はその存在だけで、生徒からちやほやされて、楽しい実習期間が過ごせるのだと思っていたが、そうではなかったのだ。

ある一人の生徒との関係を作るのが難しく結構苦労したのを覚えている。原因は色々あるだろうが、一つは僕が黒板に書く文字が異様に汚く、また書き順もばらばらだったことだ。


もう少し長い期間、生活を共にできると、色々な部分を見てもらえるのだが、教育実習とは特殊な環境なので、授業のテクニックでその先生の評価がされてしまうということがある。ホームルーム学級ではないところで授業をするとそれはなおさらだ。


冒頭にも書いたとおり、授業づくりなどで苦労することは予想していたが、まさか生徒とのコミュニケーションで苦労するとは思っていなかった。このことは、ただでさえ忙しい教育実習中、大きな精神的負担となった。

今までとは違う中学生に触れあうということ

自分は今まで、相模原ボーイズの活動の中で、野球をやりたくて集まってくる男子中学生としか関係を築いたことがなかった。毎日学校に集まってくる生徒は全員がそうとは限らない。

勉強をやる気で登校してくる子もいれば、そうでない子もいる。また、今まで、あまり接したことのない女子生徒もいる。自分がどれだけ狭い世界で指導をしていたかを思い知らされた。

だが、来年の今頃には、同じように、様々な背景で育ってきた男女の中学生に授業をしなければいけない。自分は中学生と会話をすることに長けているという思い込みはこの辺りで捨てて、どうしたら信頼関係を築くことができるかを考えて接するようにしなければいけない。


ただ、一つ安心したのは、教育実習期間でも、後半、段々と子どもたちと打ち解けてくると、自然と距離感がつかめてくるのだ。生徒は初対面の時、色々な方法でその先生がどのような人間で、どの様な反応をするのかを窺っている。それならばこちらも、真摯に対応するしかない。

教育実習の意義

教育実習の意義について、ここで改めて振り返ってみようと思う。教育実習とは、どの様な意味を持つのだろうか?ここでは三つの視点から考えてみたい。

学生にとっての教育実習

まず、学生(実習生)にとっては、教育実習とはどのような意味があるのだろうか。制度的な話でいえば、教員免許を取得するためには必ず教育実習に行かなければいけない。

※中学の免許は3週間、高校の免許は2週間。両方の場合は長い方の3週間に合わせる

そのため、中には免許のためだけに実習に来ている人もいる。もちろん、本当に教員になりたいと思っている人もいるのだが、実習生によってかなり熱意は異なる。

また、実習の時点でまだ教員の道に進むかを迷っている人もいるだろう。そういう人にとっては教育実習は決断するための最大の材料になる。個人的には企業のインターンと同じように、このスタンスで実習に行くのがいいのではないかと思う。もちろん、実習期間中は「自分は先生になったのだ」というつもりで自覚をもって生活する必要があるが。

このように、学生にとって教育実習の意義は大きく異なる。ちなみに僕は中学軟式野球部と高校硬式野球部を毎日はしごできたので、野球という面でも実り多い3週間だった。

先生にとっての教育実習

受け入れる側としては教育実習は面倒くさいものだろう。それもそのはずだ。通常業務の合間を縫って、わざわざ本当に教員になるのかもわからない大学生の相手をしなければならないのだ。

実習生がとんでもなく下手な授業をしてしまったら、実習期間終了後に先生がもう一度補習のようなことをしなければならない。

正直、指導担当の先生によって実習は大きく変わる。熱心に朝早くから夜遅くまで付き合ってくれる先生もいれば、基本的に放置のスタンスをとる先生もいた。授業などの指導方法を押し付ける先生もいれば、本当に自由にやらせる先生もいる。

ちなみに僕の指導を担当してくれた先生は、体育会系で「とりあえず自分の好きなようにやってみな」といった感じの先生だった。その代わり、その日その日で反省はしっかりとくれる。やり方をはじめから固定されることはなかった。感謝してもしきれない。

生徒にとっての教育実習

生徒からしたら、実習生は年の近いお兄さんお姉さんといったところだろう。「先生」とは呼びつつも、あまり先生だとは思っていない。

基本的には生徒は教育実習生を歓迎してくれる。ただ、実習生を煙たがる生徒も一定数いる。各クラスに数人は必ずいる。授業が下手だとなおさらだ。自分の生活に突然、異世界の人が来るのだから当然かもしれない。

だが、そんな授業さえも楽しいと思ってくれる生徒も必ず一定数いるから、そこはめげずに自分のベストを出すしかない。

生徒は思ったよりも大人だ。教育実習生の授業では寝ないように気を使うし、いつもよりも授業を盛り上げようともしてくれる。

その時のその人にしかできないこと

教育実習とは実習生にとっても、教員にとっても、生徒にとってもその時しかない特別な時間である。たかが教育実習生でも、その時のその人にしかできないことが必ずある。それを生徒に一つでも伝えられたら、十分だと思う。

だからこそ、指導担当の先生のまねをするのもいいが、自分らしさをどこかで出していくことがとても大切だ。自分にしかできないこと、自分にしか言えないことを出せると、その実習は自分のためにもなるし、生徒のためにもなる。もしかしたら先生のためにもなっているかもしれない。

ずっと遠慮していてはいけない。失敗を恐れていてはいけない。その時その時で、自分がすべきだと思ったことをして、言うべきだと思ったことを言えば、わずか2,3週間でも生徒の人生に役立ったことになる。

それがその時に響かなくても良い。何年後かに「あの時の教育実習生、こんなこと言ってたな」と思ってもらえたらそれで十分だ。教育とはそういうものだとも思う。長期的に良い影響が与えられたなら、それ以上の幸せはないだろう。

実習生の一言で人生が変わる子もいるかもしれない。実習生の存在なんてすぐ忘れてしまう子が大半だろうが、一人でも自分の存在を大事にしてくれる子がいるなら、自分がそこにいた価値は生まれる。

人のためにも自分のためにも、その時の自分にしかできないことをする。これを心掛けていれば、心は随分と軽くなるし、実習期間を有意義に過ごせるはずだ。

未来の教育実習生へ、参考になればうれしい。

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