【中学硬式野球】10年前のボーイズリーグで学べたこと。

相模原ボーイズ

この記事について

こんにちは。相模原ボーイズという中学硬式野球チームでコーチをしています、中島です。

現在指導にあたっている相模原ボーイズは僕が中学生時代にお世話になったチームです。僕はいわゆる”母校”に戻って指導をしているということになります。

今回の記事では、僕が選手だったころの相模原ボーイズを思い出しながら、一昔前の中学野球で学べたことを改めて整理してみます。

現在の相模原ボーイズとかなり違う内容が含まれます。10年前の話、もはやフィクションだと思ってお楽しみください。

理不尽はある

まず一番に来るのはこれです。

入団式の日、新1年生担当のコーチから「理不尽なことばかり、それを乗り越えるのが野球だ」という言葉をもらって「????」という感じでした。

中1の中島
中1の中島

リフジン?

ギャルが成人式で貸し切る奴か?

しかしその翌日から、「理不尽」の意味を身に染みて感じることになります。何かすれば「おい、一年」といびられ、何か忘れ物をすると「歯を食いしばれ!」と漫画のようなことを言われて一発いただくという流れ。

まあ、それで多少は精神的に強くなった部分もあるのかもしれませんが、試合では緊張するし、その後も弱い自分と向き合う機会はたくさんあったので、あのビンタで精神的な本物の強さが手に入ったわけではないようですね。

人からの恐怖によるプレッシャー。そのなかで得られるものなど所詮その程度なのだと、今になって思います。ただ、もちろん得るものも多かったとは思います。

あれよりつらい経験はおそらくないだろうと思えますし、鍛えてもらったという実感はあります。ただ、違ったアプローチをしてもらえていたら、また少し違った結果になったのかなとも思います。

どう考えてもおかしいけどやらねばならぬ事(=理不尽)が存在する


また、高校野球につながった部分は数多くあったので、その点では何一つ後悔のない中学野球でした。

キャプテンは周りが思う5億倍しんどい

当時の監督はチームが沈むとキャプテンを変えて士気を揚げるという手法を好んでいました。僕の代もそれは例外ではなく、代の途中、学年が中3になるタイミングで僕がキャプテンに指名されました。

やってみると本当にしんどい。わざとやってるだろってくらい、毎回のように怒られるのは自分だけだし、人前で話すのが好きじゃないのに、早口&大声で挨拶しなきゃいけないし。

それでも、この経験はかなり大きかったです。どうやったら厳しい雰囲気の中でも、皆が付いてきてくれるのか。当時、平日練習を担当してくださっていた学生コーチの方にアドバイスをもらいながら、色々と試したのを覚えています。

たかが中学野球のキャプテンでも、リーダーになることで学べることは大きい。

中学時代に大切なことは○○

僕は幸い、下級生の頃から試合に出場する機会をもらっていました。本職はキャッチャーなのですが、下級生では主に外野、センターが定位置でした。フライ捕球も苦手で一年を通して何個ミスをしたかわかりませんが、それでも使い続けてくれたおかげで、かなりの試合数を経験することができました。

ここは声を大にして言いたいところです。
中学野球は経験を積んでなんぼなんですよ。

走塁の勘やバッティングのタイミングは、いくら練習しても、試合の中で色々と試さないと、結局自分の身になりません。

これからチーム選びをされる方は是非、試合経験を多く積めるチームを選んでください。

小中学生は実戦経験がすべて

修羅場をくぐった仲間は宝

最後はありきたりではありますが、やはり仲間ですね。

砂浜をうさぎ跳びで何往復もしたり。
吐くまで白米を食べさせられたり。
暑いのか寒いのかわからなくなるまで坂道を走ったり。

そんな“修羅場”を乗り越えた友達だからこそ、大人になってからも色々話せたりするんだろうと思います。

連絡こそそこまで頻繁にはとりませんが、当時の仲間は今でも大切に思います。

苦楽を共にした仲間は宝

最後に

ここまで読むと、あまり良い思い出がないのかと思われるかもしれませんが、そんなこともないです。道具を大切にする習慣や、挨拶などの礼儀はここで教わりました。

また、活動を通して、親の愛情を本当に深く感じました。今の中学生も、言葉にこそしなくても、お父さんお母さんへの感謝は常に持っているはずです。

それを今すぐ言葉にすることは難しくても、何かの形で感謝を伝えてほしいなと思います。

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