なぜいきなりドミニカに行くことになったのか?

野球

この記事ではドミニカへ行くことになった経緯・費用・どうやって行くのか、などを時系列でまとめてあります。少しでも海外野球に興味のある方は是非読んでみてください

ドミニカってどんなところなんだろう

大学4年の5月、就職も無事決まり残り一年を切った人生の夏休みをどう使うか、ぼんやりと考えていた。

それでも、週末の相模原ボーイズの活動と日々のアルバイト、卒業論文の調査以外に特にやることがなかった僕はただただ流れる時間に身を任せていた。

そんなある日、チームの代表から「お前も平野先生にドミニカの話聞いて来いよ」と冗談ながらに言われた。

平野先生とは、うちの妹がマネージャーとしてお世話になった神奈川県立瀬谷高校野球部の監督(当時)だ。たしかにネット記事でドミニカの話を紹介されていたのは見たことがある。

【瀬谷高校野球部監督・平野太一】県立高校が野球大国・神奈川で甲子園を目指す!私がドミニカ渡航を決意するまで | Timely! WEB (timely-web.jp) ※新しいタブで開きます


すぐにその気になってしまう僕は、妹から連絡先を聞いて、ほんの少しの好奇心で平野先生に電話をかけた。これが始まりである。

バイトの休憩時間に

2019年5月10日、塾講師のアルバイトの休憩時間に平野先生に電話をかけた。電話の呼び出し音が鳴ると急に緊張する。

すぐに電話に出てくださった先生の声に、思わず早口になってしまう。うまく言いたいことが伝わらない。なんとか話をして、直接お会いできることになった。

「明日来てください。」

へ?明日? 練習後とかに行けばいいのかな?

「明日、埼玉に遠征なんでバスで僕の横に乗ってください

そこで話をしましょう。」

人生最大級のはてなが頭に浮かぶ。野球をやっている人なら、いくら妹が関係しているとはいえ、全くの部外者が遠征のバスに乗るということがどれだけのことかわかるだろう。

それが前日に決まった。

その日の家族LINEに送った内容だ。

スーツを着て始発

まだ頭が現実に追いついていない中、遠征の朝の集合へと向かう。やっと慣れてきたスーツを着て、メモ帳をもって、妹にとっては通い慣れた通学路を歩いていく。

集合場所に着くと、挨拶もほどほどにすぐに観光バスに乗り込む。


そこでは色々な話をしていただいたが緊張していてすべての内容は覚えていない。ただ、もっと聞きたいことや疑問に思うところをたくさん用意してくればよかったと後悔したのは覚えている。

そうこうしているうちに、あっという間に埼玉の高校に到着した。高校はだいたい一日2試合のOP戦を行う。この日も例外ではなかった。

ということは、二試合の間、僕には考える時間が与えられたのだ。

試合後、再びバスにて

試合が終わってバスに乗ると、先生と選手とのミーティングが始まる。僕もそれを必死でメモする。

それが終わるとしばらく沈黙になった。朝のように先生との会話はない。自分から、二試合の間に考えたことを伝えなければいけないことはわかっていた。

乾ききった口を開き、「ドミニカに行くことにしました。」と先生に一言伝えると、かえってきた言葉は、「ほう、素晴らしい」の一言。

と同時に、先生の手にあったスマートフォンでは通話が発信されていた。

この瞬間に、ドミニカ行きの面倒を見てくださる。阪長友仁さん(堺ビッグボーイズ監督)に電話をしているのだ。

恐ろしい世界だと思った。決断の速さというかなんというか。もし僕が何か違ったことを言ったら○されていたのではないか。そんな緊張感の漂う車中だった。


何度もお礼をし、家に帰ったあと泥のように眠ったのは言うまでもない。

二年前の指導者講習会

ボーイズリーグでは毎年指導者講習会というものを開催し、指導者の研鑽の機会を設けている。

僕もそこには積極的に参加しているのだが、実は阪長友仁さんはその講習会でお会いしたことがあったのだ。

名刺交換はしていなかったが、ドミニカ野球の日本とかけ離れた文化と関西弁が強く印象に残っていた。

そんな阪長さんにフライトの予約や宿の手配などをすべてしてもらい、準備を進めた。実はこれが初の海外だった。パスポートをとり、一週間分の衣服を入れるキャリーケースをレンタルし、不安の中当日を迎えることになる。

現地での所持金なども含めて、費用は日本円にしてざっと50万円。お金を振り込むといよいよ話が現実味を増してくる。

こうして8月7日の朝の出発を迎えた。


実際現地へ行ったとき訪問記録はこちらをタップしてください。










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