教育実習の意義は人によって違うのではないかと思う。僕にとっての教育実習は、公教育現場がどのような場所なのかを見るためのものであった。
教育実習に行くかなり前の段階で、僕は民間の教育機関に就職することが決まっていた。2019年の春の時点で、自分は私教育で生きていくと心に決めていた。そのためには、公教育を知る必要がある。そもそも、対になるものではないと思うが、一つよく比較される対象として、学校と塾の違いは考えておいた方が良い。そのためには学校を知る必要があるのだ。
どうして私教育か?
3週間の教育実習を終えた直後、正直な感想は「やっぱり学校っていいな」だった。中学生のころ、少し学校が嫌いになりかけることがあったが、高校生になった僕は学校という空間が大好きだった。
しかし、教育実習で色々な生徒を見ていると、そうではない生徒もいるのだ。学校という場所が居心地の良い場所ではないという子もいる。
中学生のころの僕はその状態に近かった。とあることから学校に行くのが怖くなってしまったのだ。中学3年生の途中からだったので、「あと半年だ」と自分を奮い立たせて不登校になることはなかったが、はじめて学校に行きたくないと思った。
そんな時、僕の心の支えは家だった。特に母親と会話をする時間はものすごく落ち着ける時間だった。もう一つの居場所は塾だった。第一志望の私立高校に入るために、僕は勉強にスパートをかけている時期だった。そのため、塾にいる時間が長かったのだが、そこの先生は僕を認めてくれていた。時には厳しい指導も受けたが、認められている感覚があったから塾は嫌いではなかった。
僕の場合、家が安らぎの場所だったからよかった。多くの人がそうだと思う。しかし、そうではないという人も世の中にはたくさんいる。僕らが思っているよりもずっと。
第三、第四の居場所
僕が私教育にこだわる理由の一つはそこだ。家も学校も居心地が悪いという子にとって、居場所は何処になるのか?それは第三の場所だ。その子にとっては第一かもしれない。
塾の可能性はそこにあると思っている。塾を頼りにしている人もいるのだ。僕はそこで力を発揮したい。
僕がボーイズの指導に関わるときにも同じ気持ちでいる。学校の部活も結局は学校の中だ。学校が嫌いな子にとっては部活動もしんどいだろう。
クラブチームは第三、第四の居場所でなくてはならない。だから、その場にいて不愉快な気分になる人がいることは許されない。「我慢しなさい」の学校とはわけが違う。
学校が一番ではない人、学校が好きではない人、そのような人がいるということを再確認できたことは教育実習で得た大きな収穫の一つだ。
最後に
母校にいる時間は夢のようだった。「学校っていいな。」しばらく余韻に浸っていた。だが、冷静に考えなければいけない。学校で働きたいのか母校で働きたいのか。
今の自分はおそらく後者なのだ。だから、今は公教育に進むわけにはいかない。少なくとも母校へのこだわりがなくなり、学校という場所自体に魅力を感じるまでは。このことを確認できたのはとても良かった。
これから教育実習に行く人はそれぞれの目的をもって、有意義な実習にしてほしい。
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