僕は最近、選手を下の名前で呼ぶように心がけている。しかも呼び捨てで。選手なら感じている人もいるかも知れない。もちろん、今までの呼び方を簡単に変えるのは難しいので、苗字で呼び続けている選手もいるが、なるべく下の名前で呼ぶようにしている。
さらに、既に関係のある選手だけでなく、体験生として来てくれた選手も呼び捨てで呼ぶようにしている。これには、距離感をなるべく近くしたいという意図もあるが、それだけではない。この記事ではそのことについて、自分の思考の整理もかねて書いていきたい。
LGBTとは
大学で教職課程を履修していると、この問題に触れなければいけない時がある。最近はネットやテレビでもたびたび目にする用語だ。だが、GAFAだのSDG’sだの、このようなアルファベットの羅列があふれている中で、LGBTも聞いたことはあるが中身は何かわからないという人がいるのではないだろうか。ここではまず、LGBTについて、簡単に紹介したい。
LGBTは、
- L=lesbian(レズビアン、女性同性愛者)
- G=gay(ゲイ、男性同性愛者)
- B=bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)
- T=trancegender(トランスジェンダー、周囲から見た性別や生物学的な生別とは違う性別を生きる者)
これらの頭文字をとった言葉だ。実際にはこの四種類以外にも様々な生のありかたが存在するので、最近は「セクシュアルマイノリティ」という表現が使われているようだ。
※僕はここで「マイノリティ」というワードを使うことにもまた少々の違和感を感じる。
最近の問題なのか
歴史を学ぶとわかるが、同性愛というのは様々な場所・時代に出てくる。また、「オトコオンナ」なんて呼び方も、ひと昔前の物語を見ていると時折出てくる。これらは、最近急に現れたものではないのだ。
今までは性というのは男・女のどちらかしかないと思われていた。だから、それ以外の人が「マイノリティ」という立場になってしまっていたのだ。しかし、性は実に多様なものである。セクシュアルマイノリティと呼ばれる人々を「マイノリティ」にしないためには、配慮・対応が考えられるべきなのだ。
会社などではまだまだ理解がされていないところが多いが、学校などでは、すでに男女共通で「さん」づけで呼ぶように指示されているところもあるらしい。実際にそれがどの程度徹底されているかは微妙だが、ここ数年でかなり変わっていると感じる。
小学生の頃、「男子なのに「さん」で呼ばれて不愉快だ」という同級生がいた。必ずしも、呼称を統一すれば、問題がないわけではない。
どの様な配慮・対応が必要か
ここからは、中学生に対しての場面を想定して考えたい。呼び方の問題は難しいが、「性は男・女の二種類しかない前提」で話をするのはやめた方が良いだろう。
また、「男なんだから」という常套句もなるべく避けた方が良いだろう。(野球指導の現場ではついつい使ってしまいやすい言葉だが)
学校ではない場所(塾やクラブチームの活動)でわざわざ言わなくてもいいと思うが、言葉の所々に、自分なりの配慮をした言葉選びをしていれば子供にもそれは伝わる。「性は多様なんだ」となんとなくでもわかってもらえたらそれで十分だろう。
ただ、「オカマ」や「ホモ」などの言葉は使わないようにした方が良い。また、選手がそれを使っていたら、注意できるような指導者・教育者にならねばいけない。
たかだか野球を教えるのに、考えすぎだろ
と思う人はそれでもいい。ただ、僕はどんな性別の人にも野球をやってほしいだけだ。現にうちのチームの卒団生には女子選手が二人いる。今後はもっともっと、女子野球選手が出てきて欲しい。
まとめ
まあ、このような問題に触れたことから、なんとなく子どもたちの呼び方を変えてみた。結果、名字で呼ぶよりもなんとなく親密な感じもするし、メリットの方が多いと思う。
※逆に子供と一定の距離を保ちたい人は、名前で呼ぶのは控えた方が良いのかもしれない。
野球の指導をしていて、今現在は特にセクシュアルマイノリティの子どもには出会っていない。しかし、10~20人に一人はいると言われているセクシュアルマイノリティだ。今後、いつどこで出会うかは分からない。
だから、初めて会う体験会に来てくれた子には「くん」づけではなく、あえて呼び捨てにしている。名字だと少し威圧的な感じがすると思ったので、下の名前で。
それがいきなり馴れ馴れしいと感じる人がいるかもしれないというのは考えたが、自分だったらどうだろうと考えた結果、今年は貫くことにした。
長くなったけど、中学生と接する時には、こんなことも考えたりするんだよと言う話。
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