命を選ぶ権利があるのか?

生きること

メンタリストが大炎上してる件について。

あまりそのことに触れるつもりもないけど、心がざわざわしてるので命について時間をかけて考えてみた。

命を選ぶ権利なんてない

YouTubeに動画が上がっているが、どうやら辛口コメントをする企画の中で、ホームレスや生活保護受給者に対して良からぬ発言(「いない方がいい」 など)があったようだ。

元の動画は見ていないが切り抜き動画を見ることができた。


その騒動の元となる発言の後に、
「犯罪者を○すのと同じ」
「いない方がいい」

といった発言もしている。


大前提として、 他の人の命を選ぶ権利はないと思うんですよね。

じゃあ死刑制度は?とか、中絶手術は?とか、反対に自殺を止めるのは?安楽死は?、なんて具合にややこしくなりそうだけど、でもやっぱり、親から?神様から?受け取った命を他の人が決めることは究極的には違うと思う。


ただ、そうしなければ済まない事情が発生してややこしくなっているだけで。
死をもって償うしかない場合とか、「あなたには生きていて欲しい」という「想い」がどうしようもなく溢れてくる場合とか。

「死」については今後も考え続けけるとして、今回はまず、
実際問題人の命を選ぶことはできないけれども、優先順位をつけなければいけない事態について、深夜のテンションで考えたことをまとめてみます。


大学時代の生命倫理の講義

「すべての命が同じ価値かと言うと、そりゃあ同じじゃないですよ。
例えば、目のまえに全く知らない人と、自分の娘とが瀕死状態でいて、そのどちらかの命しか救えないとなったら、そりゃあ自分の娘を選ぶに決まってるじゃないですか。
そういった意味では、命の重さという考え方は個人のレベルでは否定することはできません。」

こんなことを言っていた、大学時代の倫理の講義の先生を思い出す。

たしか、トリアージについて学んだ日だった気がする。

トリアージ…災害や医療現場で 傷病の緊急度や重症度に応じて治療優先度を決めること
※参考 :
トリアージ 東京都福祉保健局 (tokyo.lg.jp)

確かに、言われてみればそうだ。

頭の中に思い浮かべても、あの人の命と見ず知らずの人の命を天秤にかけざるをえない状況になったとき、そこにはどうしても差が生まれてしまう。

個人の心の中では、あてはまる場合が多い話なのではないか?

個人の心の中では…


それが集団、もっと広く社会のレベルになると話が変わってくる。

このトリアージにも生命倫理の観点から見たら、賛否両論があるのだという。

大学時代の講義もそういった内容だった。


要するに、人の命に優先順位をつけることに対する議論だ。

4年間学んだ大学のキャンパスの画像でも貼ってみる。

人の命に優先順位をつけること

ベッドの台数や薬の数、手当てをすることができる医療関係者の数など、限られた医療資源をどのように配分するか、誰を優先的に治療するか。

それを考えなければいけないのだ。

危険な状態の人を救うべきか

瀕死状態にある人、事態が切迫している人を救うべきか。

確かにそれが「公正」なのかもしれない。

だが、それが限られた医療資源を「効率」的に配分で来ているのかは分からない。

その人にかけている時間を手間を他の人に費やせば、もっと多くの人が助かる、なんて場合もありそうだ。

治療が成功しそうな人から救うか

ケース

二人の患者がいる。

一人はすぐに手に入るタイプの臓器移植を必要としている。

もう一人はなかなかドナーが見つからないタイプの臓器を必要としている。

この場合はどうだろうか。

珍しいタイプの血液や臓器を持つ人は不利になる。「公正」とは言い難い。

社会的に「救った方が良い人」を救うか

ケース

海で大型船が難破し、船員も含めて海に脱出した。

救命ボートがあるが、そこには誰から乗るべきだろう。

船員がまず助かれば、その救命ボートの操縦や、救助依頼などもスムーズにできそうだ

この場合はどうだろう。

乗客の優先順位は下がっていいのか?


現在のコロナ騒動も同じことが言える。

ワクチン接種は医療関係者に優先的に回ってくる。

※それ以外にも年齢による優先順位もついている。
ここでも直接的ではないが、命に順番が付いていることになる

迷うよね

迷う。当たり前だ。

いざ、緊急事態に出くわして、救える数に限りがある状況に陥ったら、正しい判断ができるだろうか。

そもそも、「正しい」って何だろう。

そのためのトリアージなのだ。

緊急災害時や戦争時に、生存者を最大にするためにデザインされたシステムに則って、患者の治療の種類と割り当てを行うことのできるシステムだという。

そういえば、今やってるドラマ『TOKYO MER』でもトリアージを行う場面があった。

「TOKYO MER~走る緊急救命室~」第1話レビュー:「どの命か重要かなんて俺たちに決める権利はないですよね」ヒーロー鈴木亮平とツンデレ賀来賢人が熱い(※ストーリーネタバレあり) | cinemas PLUS

限られたものをどう配分するか

医療資源の問題もそうだし、メンタリストの「ホームレスを救うくらいなら猫を助けたい」という趣旨の発言も、限られたものやお金や人をどう配分するかという話になってくる。

個人がどう思おうとそれこそ自由だとは思うけど、配分の話になってしまうと社会全体の話になってしまうからね。


そこで、とある本の一節を思い出した。

ある社会が公正かどうかを問うことは、我々が大切にするものー収入や財産、義務や権利権力や機会、職務や栄誉がどう配分されるかを問うことである。
公正な社会ではこうした良きものが正しく配分される。
つまり、1人ひとりにふさわしいものが与えられるのだ。
難しい問題が起こるのはふさわしいものが何であり、それはなぜかを問うときである。

マイケルサンデル『 これからの「正義」の話をしよう  』 (早川書房)

どうやら、これはもう「正義」の話になってくるらしい。

随分スケールが大きくなってきた。

正義、ジャスティスだ。


かなり難しい話になってきたが、読んだ本の振り返りもかねて、まとめてみよう。

次の記事では『 これからの「正義」の話をしよう  』を読んでの読書録を書く予定です。

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