ある日のタイム走
昨日、ボーイズの練習でタイム走を行った。厳密には計ってないが、500mほどの距離を一周なので、短距離走と言うのか中距離走なのかは微妙なところだ。中学生は心肺機能が発達する時期だ。うちのチームでは、なるべくこのようなインターバル走は練習メニューに入るようになっている。500m走だと一日に大体4~5本を走る。
昨日、その一周走の中でこんなことがあった。
A選手、
一本目のタイム:2.20
二本目のタイム:2.10(連帯で2.10位内)
三本目のタイム:2.01(連帯で2.05位内)
まだ体が温まっていなかった。
インターバルが不十分だった。
など、いくつか原因はあると思う。ただ確かなのは、そのA選手は明らかに一本目より二本目、三本目の方タイムが良かったということだ。
そのことは、その場にいた選手・指導者の誰が見てもわかる。もちろんA選手が一本目で手を抜いていたわけではない。ただ、自分の持っているものをすべて出せていたわけではなかった。
全力は難しい
「その選手が全力か全力じゃないか、外から見てわかるのか?」という問題は一旦置いておこう。
ここでわかっておかなければいけないのは、全力を出すというのは思ったより難しいということだ。
例えばだ。「フルスイングしろ」と言われて、「フルスイングしよう!」と思って、バットを振った時、毎回自分のマックスのスイングスピードが出るだろうか?いつも自己最高の飛距離が出るだろうか?50m走でも「全力で走ろう!」!と思えば毎回自己最速タイムが出るだろうか?
大体の人が経験したことがあると思うが、答えは「ノー」だろう。
全力というのは、実はものすごく難しい。自分の持っているすべての筋肉が100%に近い動きを、一番いいタイミングでしてくれた時に全力を出すことができる。
そしてさらに、そこには精神的なことも関係してくる。ここがまた厄介なところだ。
「学校で嫌なことがあった」
「親に怒られた」
そんなモヤモヤで気持ちが野球に向ていないと、どれだけ体の調子が良くても、全力は出すことができない。
実は全力とは、こんなに難しいことなのだ。
それでも全力を目指さなければいけない
ただ、難しいことには変わりはないのだが、全力へのこだわりは捨ててはいけない。全力に近い力を、出来る限り毎回出すことが必要なのだ。
そのためには、やはり、常に全力を出そうとする姿勢が大切になる。難しいからと言って、手を抜くことは許されない。
A選手の場合で見ると、本人は全力のつもりでも、実は全力とは程遠い状況だったのかもしれない。それが二本目以降、連帯責任制になってはじめて、目の前のメニューに自分の力のすべて集中できたのかもしれない。もしくは、気持ちの準備は出来ていても、体の準備ができたのが二本目以降だったのかもしれない。
出し惜しみをするのはやめよう
無意識的であれ、A選手は一本目に全力を出せていなかった。まずはこれを自覚して、一本目から全力を出せるように準備することが大切だ。
「タイム走」から「声」の話に移ろう。
ある選手が、「もっと大きな声を出せ!」と言われたとしよう。そうすると、その選手(B)は「はい!」と大きな声を出す。
しかし、その指導者からするとその選手の声の大きさは不十分だった。もう一度、
指導者「もっと!」
B選手「はい!」
と言ったやり取りがされる。
大体の場合、こういう時は二回目の返事の方が大きいのだ。この時もまた、B選手は意識的か無意識的か、一回目で全力は出せていなかった。
声の話はあくまで例えだが、このようなやり取りはよくあるだろう。「もっと姿勢を低く」と言われて、低くしたつもりが、「もっと!」と言われて、二回目でやっと正しい姿勢になる。
50%で「上げろ」と言われて、70%にする。さらに「もっと!」と言われて95%にする。
この、間の70%のやり取りがもったいないと思わないだろうか?中学生のうちはそれでもいいが、大人になると、注意をされても70%しか出せなかったら、その時点で見捨てられてしまうということだってありうる。高校野球でもシビアなチームではそうだ。
常に100%=全力を心掛けるだけで、成長するスピードはずいぶんと変わる。やりすぎなくらいでいい。特に中学生は。
120%にしてしまって、「やりすぎだ!」と思い、100%に戻すのは簡単だ。
最後に
何事も天井をぶち抜くつもりでやらないと、中学野球の2年半、高校野球の2年半、いや人生だってそんなに長くはない。
常に全力で、時には突き抜けるような気持ちで取り組めば、好きな野球は必ず上達する。さらに言えば野球に限らず勉強でもそれ以外の事でもだ。
ただ、全力というのは、始めの方で言った通り、実はかなり難しい。だから自分の体・心の声をよく聴いて、生活をすることが大切だ。
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