野球に声は必要なのか?

野球

一般人が「野球部」と言われてイメージするのは何だろうか?高校時代、よく他の部活の人から坊主頭でいじられた。その次に、その挨拶のマネを良くされたものである。
ちわ!
した!

文字にすると恥ずかしいが、確かにこのような挨拶をグラウンドでも学校でもしていた。他の生徒から見たらさぞかし奇妙な光景だっただろう。挨拶以外にも、野球部はよく声を出す。テニスなどの他のスポーツを見ていると、静かにすることがマナーだというスポーツもある中で、野球は一瞬でも静かにすると怒られる。野球と声はどうやら切り離せないものらしい。

そこで、今回は野球に声が必要なのかを考えてみたい。必要なのであれば、どうして必要なのかも含めて考えてみようと思う。現在、色々なところで昔からの常識に疑いの目が向けられ、常識のアップデートが進んでいる。声についても一度考える必要があるだろう。

それは本当に声なのか?

そもそも声とは何なのか?
辞書を引くとみんなが思っている通り、「動物の発声器官から出る音」という説明が書かれている。そんなことはわかっている。少し質問を変えよう。

動物は声を出せるか?
これは答えが分かれるのではないだろうか。人間が声を出せるのはわかり切ったことだ。動物はどうか。犬は?ライオンは?ゾウは?
「ワンワン」
「ガオー!」
「パオーン」 

人はこれらのを「鳴き」とは呼ぶが、それを本当に声と言って良いのかどうか、違和感を感じる人もいるのではないか?

少なくとも僕は、これを声とは言いたくない。ここで僕なりの「声の定義」を示したい。声とは、動物の声帯から出た音の中で、お互いに理解できる情報(意味)を伝達するものだとしておきたい。(あくまでこの記事の中での定義)

だから犬の鳴き声だって、犬同士で伝えたいことがわかっていれば、それは立派な声だと思う。しかし僕には「ワンワン」が伝えたい意味はわからない。だから僕にとっては声ではないのだ。



話を野球に戻そう。野球場では声も飛びかっているが、「ただの音」もたくさん聞こえる。「オーイ」のような、全く持って意味のない、「声」というよりただの「音」に過ぎないものが野球場には多い。これは必要ないと思う。(後ほど書くが、例外はある)

みんなが声だと思って頑張って出しているものの中に、「ただの音」が含まれていて、それはそもそも声ではないという前提を置いてから、声が本当に必要なのかを考えていきたい。

一番手っ取り早い手段

散々長ったらしく、書いてきたが、ここで先に言っておこうと思う。僕は基本的に、野球に声は必要だと思っている。

野球は準備・確認の時間が長いスポーツだ。試合中にも色々な確認をすることができる。ジェスチャーや文字など、情報を伝達する手段はいくつかあるが、やはり一番早く、正確に情報を伝えることができる手段はだ。声が届く所にいる限りは、声でやり取りした方が良いと思う。それが相手に聞かれるとまずい場合に初めて、口元を隠して小声で話したり、サインを作ったりする。だが、それが必要ない場合には基本的に声を出すのが一番だろうと思う。

守備についている時の確認の声、ベンチから打席の選手への指示の声、ベンチからランナーへの確認の声、ベンチの中での作戦の声など、やはり声を出すことが要求される場面は多い。

大きな声を出すことは必要か?

声が小さい!
野球人なら誰もが一度は言われたことがあるのではないか?ここでは大きな声を出すことが必要なのかを考えよう。

これについては非常に単純で、無駄に大きな声は必要ないということに限るだろう。当たり前なのだが、伝わるのにそれ以上の声で話す必要はない。もちろん、地声より声を高くして、一音目をはっきり発音するなど、相手に伝わるようにプラスアルファの工夫は必要だ。聞こえればいいというものではない。だが、明らかに必要ないボリュームで声を出し続けるのは無駄だろう。

僕は大きな声というよりも、その場にふさわしい声を出せるようになてもらいたい。監督が誰か他の人と話をしている。その時に横から「ちわ!」と大きな声を出したらどうだろうか?会話をしている人はびっくりするだろうし、会話の内容が途切れてしまう。何か取り込み中の人に挨拶をするときや、話しかけるときには、その場にふさわしいやり方があるはずなのだ。

「大きな声を出せ」とただただ言われ続けて育った野球人(特に高校球児)はこのように、空気が読めない人になりやすい。それは大きな声を出していれば怒られないからだ。このことは社会に出て役に立たないどころか自分の首を絞めることにもなる。野球が人間的成長につながるというのなら、社会に通じる人材を育てなければいけない。

僕が「もっと大きな声を出せ」という時はその場にふさわしいボリュームがなかった時だ。言い換えれば、「その場にふさわしくない声」ということになる。

何がふさわしい・ふさわしいの判断は、残念ながら僕の判断基準になってしまう。そこだけは選手には諦めてほしい。

ちなみに、僕は「声だし」のトレーニングは時には必要だと思っている。現状、公式戦のグラウンドにふさわしいボリュームの声が出せない選手にはきっかけづくりとして、「声だし」をやってもらうことはある。一度大きな声を出してしまえば、意外とその後も大きな声が出るようになったりもする。そうでない選手は繰り返し頑張るしかない。


声の目的を分けて考える

その声を出す目的は何なのかを明確にしておくと、選手も指導者も出すべき声がわかる。

情報を伝える声

ここでいう情報とは主に作戦だったり、指示のことだ。守備位置の指示を出したり、狙い球の指示を出したり。この声が止まらないチームは良いチームだろう。野球をわかっていないと、声を出せとは言われても、何を言っていいかわからない。だから「オーイ」という音しか出せなくなってしまう。自発的に何かに気づいて声を出すことは、視野の広さ(気づき)が必要なため、とても難しい。

盛り上げるための声

声を出しているとよい雰囲気になる。良い雰囲気だから自然と声が出る。どちらが先かは分からないが、「良い雰囲気」と「声」の間には何らかの関係があるのだろう。だから、チームを・自分を盛り上げるための手段として、声は使えると思う。この時の声にはそこまで重要な意味は含まれていなくてもいいのではないかと思う。(冒頭の「声と音」の話と矛盾してしまうが…)

その代り、自発的であることが何よりも大切になる。上に挙げた、「情報を伝える声」は、誰かのマネでもいいからとにかく何か情報を発信しようとする姿勢が大事だと思う。だが、盛り上げるための声が自分の内側からの意思で出されたものでないと意味がなくなってしまう。

○○○の声

あとはどんな声があるだろうか?細分化すればもっともっと分類できるのだろうが、大まかにこの二つに分けてみた。他にもあったら是非教えていただきたい。見つかり次第ここに追加しようと思う。

言葉を大切にする

ものすごく難しい話になるが、言葉がないとこの世界は何が何だか分からなくなる。言葉は人間に与えられた貴重な財産なのだ。声は、その言葉を運ぶ一番身近な手段だ。一部の人は点字でなければコミュニケーションがとれなかったり、手話で話をする人もいる。ただ、多くの人にとっては声がメインの手段になるはずだ。

声で、言葉で自分の想いを伝えることに対して、最後の最後まで本気で向き合わないといけない。そこには相手の言葉を真摯に聞いて、その意味を正しく理解しようとする姿勢も求められる。言葉は人間の生活の一番基本的で一番大切な部分なのだ。

僕は野球や教科を教える中でこういう考え方も伝えていきたいと思っている。野球を通しても、声を使って自分の想いを正しく伝える姿勢を身につけてほしい。

結論

少し話がそれてしまったが、結論、野球に声は必要不可欠だと思う。そして、その時に必要なら、大きな声も必要だと思う。

全力疾走は必要か?という議論でも落としどころになるが、「無駄な」声は出さなくていいだけで、必要な声は出さなければいけない。

今回、このようにして自分が考えていることをまとめて文章にすることで、より自分の考えが見えた。もし、違う意見があればどんどん教えていただきたい。声を出さないスタイルの野球をやっていた人の話も聞いてみたいし、自分で走らないこともたくさんあると思う。


長くなってしまったが、今回はこの辺りで終わりにしよう。

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