【歴史から学ぶ】江戸時代の会津藩から考えるクラブチームの存在意義

中学野球

今回はクラブチームの存在意義について考えてみようと思う。部活動にも当てはまることだが、「自分はこういう思いから、ボーイズの活動は大事だと思う!」という考えを示すために、あえてクラブチームにあてはめて考えてみる。

会津藩の「什」という組織

「会津」という地名を聞いて、すぐにどこだか思い浮かぶだろうか?会津は福島県の一番西側、新潟県側の地域だ。200年以上前の江戸時代、そこには会津藩という藩があった。2013年度に放送されたNHK大河ドラマ、『八重の桜』の舞台になったところでもある。綾瀬はるかが主演だったこともあり、大人気だったので、知っている人も多いのではないか?


会津藩と言うと、歴史好きの人からしたら「幕末」「戊辰戦争」のイメージが強いかもしれないが、今回はそこには触れない。今回、紹介したいのは「(じゅう)」という組織だ。



江戸時代には各藩に藩校という藩の作った学校があった。会津藩の場合には日新館というが、日新館に入学前の藩士の子供で、9歳以下の子供は、10人程の遊びのグループを作っていた。この集団には大人は一切の口を出さず、主体的なものであった。また、親の地位で差別を受けることなどもなく、そこにいる子供の間には年齢以外の序列はなかった

子どもたちは、午前中はそれぞれ私塾で勉強し、午後は「什」の一員の家の一室に集まる。「什」の中の一番の年長者(年上の人)、が「什長」となり、指導する。そして、その他の子供たちもまた、年齢順に座り「お話」を聞くのだ。

その「お話」のはじめに、「什の掟」という八か条を声に出すという決まりがある。

一、年長者のいうことに、そむいてはなりませぬ。

二、年長者にはお辞儀をせねばなりませぬ。

三、虚言(うそ)をいってはなりませぬ。

四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ。

五、弱い者をいじめてはなりませぬ。

六、戸外で物を食べてはなりませぬ。

七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。

八、ならぬことはなりませぬ。

会津藩「什の掟」

「お話」が終わると、子どもたちは「遊び」へと移っていくのだが、「お話」のあとに、前日の「遊び」の中で「什の掟」に違反した者はいないかを確認する。そして、違反した者がいた場合には、什の中で罰が与えられる。

一番軽い者はただ謝ればよいというもの。次は「しっぺ」である。そして一番重い罰が、「仲間外れ」だ。親と一緒に謝り、許してもらうまでは「絶交」の状態となる。

こうして、幼少期から厳しいルールを守ることを覚えて、武士へと育っていくのだ。

現代日本に通ずる部分

「什の掟」には、時代が変わった今でも大事にしなければいけないことが含まれている。

年上の人の言うことは聞かなければいけない
年上の人にはお辞儀をしなければいけない
よほど、おかしなことを言っているなら話は別だが、自分より早く生まれた人のことは尊敬しなければいけない。ある高校の先生に、「どんなに尊敬できない上司・先輩がいたとしてもその経験と続けていること(継続)に対する敬意は持たなければいけない」と教わったことがある。その通りだと思う。ちなみに、その人を好きかどうかと尊敬できるかどうかは分けて考えなければいけない。

嘘を言ってはいけない
卑怯なことをしてはいけない
当たり前だ。嘘に関しては仕方ない場面もあるかもしれないが、人をだますような嘘をつくのはよくない。

弱い者いじめをしてはいけない
これも当然のことだ。弱い者いじめほど醜いことはない。僕の教え子にはいじめる人よりも、見ている人よりも、守ってあげられる人になってもらいたい。

“六”と“七”は少し難しい。六は「歩きながらものを食べるな」というくらいかと思うが、外で女子と話をしてはいけない理由は見当たらない。僕の高校の野球部は恋愛禁止だったが、そんな禁止令で思春期の男子高校生の興味はどうにもならないことは実証済みだ。ただ、本当に「道」に打ち込むのであれば、禁止令などなくとも興味はなくなるのかもしれないが。


以上のように、江戸時代の会津藩の子供への教育は、いまに応用しようと思えばいくらでもできる。現に、少しアレンジを加えたものが会津若松市の小学校では使われているのだ。





日本の教育


ただ、ここで重要なのは内容だけではない。この内容を、子供たちの組織で教え、守るようにお互いを律していたということだ。以前参加したセミナーで、日本とアメリカの教育の違いについてのお話があった。

アメリカでは家・学校・地域・スポーツ・宗教が子どもの教育に貢献するという話だった。しかし、日本では、宗教もそこまで大きくない、また地域教育も段々と小さくなってきている。

会津藩の「什」は地域での教育だと言えるだろう。


大人ではなく、年上のお兄さん・お姉さんから何かを教わるというのはとても大切な経験だと思う。部活動に何も入らずに、ただ学校に通うだけでは、おそらくこの先輩・後輩という環境は経験しないまま大人になる。先輩・後輩の関係は、社会に出れば必ず必要となる。

子どものうちから、先輩・後輩の上下関係を経験するのはとても大切なことだ。そして、子どもの中だけで何かを決め、子どもの中で問題を解決していく経験はかけがえのないものだ。

課外活動の意義

後輩は、一年早く生まれ、一年長くチームの活動をしている先輩に教わる。先輩は責任をもって教えて、同じチームの仲間として受け入れる。部活動や課外活動はこのことを経験する大事な場所なのだ。僕は、そういった点でもボーイズリーグをはじめとするクラブチームの活動は価値があると思う。

特に、僕が所属する相模原ボーイズは、学年ごとに分かれて動くことはしない。上下の学年とのかかわりは必然的に密接になる。もちろん、喧嘩があったりということはあるが、卒団後には同級生と変わりがないくらいの「仲良し」になっている。もちろん、先輩・後輩の関係がなくなるわけではないが、同じ活動をやり切った仲間として認めあうことができるのだ。

学年ごとに分かれて活動するチームに比べて、この点はうちのメリットだと思う。学年ごとの活動のチームだった友達は、後輩の名前を全員分は思い出せないという。同じチームにいるのに悲しくないか?うちでは絶対にそんなことはない。2個上も2個下も全員顔と名前が一致する。


横のつながりだけでなく、縦のつながりが続くチーム

そんなチームを目指したい。



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