前キャプテンが大切なことを教えてくれた

相模原ボーイズ

ついさっき、チームの指導者が参加しているLINEグループに、現中学3年のキャプテンだった子が希望していた私立高校に無事合格したという連絡が監督から共有された。

合格そのものもとても喜ばしいことだ。だが、それよりももっと喜ばしいことがある。この記事では今の率直な思いを残しておこうと思う。

お世話になった人へ

お世話になった人に挨拶ができない。最近中学生と接していてそう感じることが多い。毎年の卒団式でも、残念ながら、そういった雰囲気を感じられない選手が多い。

本来であれば、お礼を言う行為は心の底からの感謝の気持ちの表れであり、他人から強制されるものではない。

だから、僕がいちいちどうこう言うものでもないはずだ。だが、どこかでそれを教えてくれる人がいないとこの先お世話になった人にお礼の一つも言えない人になってしまうのではないかという心配もある。

中学生の頃を思い出して

僕も、高校受験は私立の推薦入試だったので合格発表は1月の末頃だったはずだ。面接と作文のみだったので、99%合格だった。だが、それでも「合格」の二文字をみると、「いよいよ高校野球がスタートするんだ」と気持ちが引き締まったのも確かだった。

また、入試と合格発表とでこれから通うことになる校舎に実際に行ったのも大きかったかもしれない。


僕は合格発表を終えて、入学金や制服の採寸などの作業を終えて学校を出ると、まずボーイズの当時の監督に電話をした。今考えるとかなり素晴らしい行動だと思う。残念なのは、そこに「しないと怒られる」という気持ちが混ざっていたことだ。

それでも親に言われるまでもなく監督に電話したことは覚えている。それから代表にも連絡をしたか。

当時の監督は、節目で挨拶をしない人に対してはそれがOBであっても怒るような人だった。だから僕はその当時から、お世話になった人にお礼を言うのは当たり前になっていた。僕だけではない。チームメイトは全員、合格の知らせを監督に入れていた。

その直後の土日にグラウンドに行けば、コーチ全員に報告して握手をしてもらうのが当時の相模原ボーイズでは当たり前の光景だったのだ。

それは人から強制されることなのか?

上にも書いたが、本来ならばお礼をいったり、節目の挨拶をしたりするのは、人から強制されるものではない。だが、「そういうことをするのが大事なんだぞ」と教える役目は必要なのではないか。

もし中学生の時期にそれを教われば、高校に行ってもその先に進んでも、節目節目の挨拶はするものだとわかって生きることになる。

わかったうえで「もういいや」と挨拶をせずに疎遠になってしまうか、いつまでも連絡を取り続けるかはその人次第だろう。

だが、一度も教わらないまま大人になってしまうのはまた話が違う。

「うるせえな」
「古い」
こう思われても大事なことは大事なのだ。
いくら時代が変わっても人がされても気持ちのいいことは多少面倒でもやった方が良い。

なので、今まではあまり言ってこなかったが、礼儀のような細かい部分も自分が教わってきて良かったことはそのまま下に伝えようと思う。

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